底上がり

中年になってから少し頑張ってみるブログ

借金人生だった日々(後編)

こちらは前回書きました。「借金人生だった日々」の後編になりますので、まずは下記の前編をご覧になったほうがより、自分の駄目っぷりが分かると思います。今回、ちょっとどころじゃなく長くなるかもしれません。

 

sokoagari.hatenadiary.jp

 

さて後編へ突入です。

 

支払い最終日まで後2日

 

家賃5万円。ローン3万5000円。合計8万5千円。更に伸ばし続けた住民税の金額約40万円。少し時を遡り、引きこもりの権化と化していた自分が「いよいよヤバイ」と感じたのは先月に支払いをなんとか終えた時でした。でもなんですかね、この状況でもなんとかなると感じてしまうのは、もう末期だったのでしょうか。

 

明日からすぐにでも働ければ、いや、約2週・3週でも日雇いで働ければ、週払いでもいいから職を探せばなんとかなる。さすがに引きこもり状態からは抜け出さないとまずいと思い、コンビニの店内端にあった無料の求人雑誌をもらい、職を探します。日払い・週払いが絶対条件。もし近場にあるなら掛け持ちして働こうと思っていました。必死でした。自業自得なのですが。実家にいる両親や弟は、自分は転職癖があるけれども、今はまともに働いている社会人だと思っています。まぁ話していませんから、現状、金策に右往左往している愚か者の姿を自分が話さぬ限り、知ることはないのです。

 

プライドを捨てざるを得なかった

 

転職ばかりしていた自分ですが、実は全てそれらは正社員雇用だったという、なんとも恵まれた待遇だったのですが、現状、正社員として働くにはあまりにもリスクが大きいもので、まずは面接。履歴書の学歴・履歴欄は約半分を埋めるほどの転職野郎を、良い人材を求めるであろう会社が即、認める訳がありません。そして合否連絡が来るまでがとても長い。幸い採用されたとしても、大抵の正社員雇用の場合は月末締めの翌月払いです。これでは無理ですゲームオーバーです。

 

なので正社員は諦めて日払いはなくとも週払いが見込める「派遣」に目を付けました。実際これが初めての「派遣社員としての労働」になるのですが、過去に親に「転職するなら正社員が絶対」とキツく言われていたこともあり、派遣に対して嫌悪感が否めませんでした。でも今はそんなプライドを持っている場合ではありません。履歴書を買い、惨めな履歴書を作り、なけなしのお金を使って証明写真を作り貼り付け、求人雑誌の中の「働けそうな所」へ電話をしました。

 

なんとか働くことができたが

 

とても運が良い事に電話一回目の会社で即採用が決まりました。天は我を見捨てなかった。自分は「持ってる」奴だった。と、この時は歓喜していました。次の日に勤務地へ営業さんと集合し、履歴書と振込先を伝え、紹介してもらったのは10日間の期間限定で日給はキッチリ一万円。場所は、あるところの青果を扱う物流の会社での仕分け作業で約11時間労働でした。つまり10日やれば10万円がもらえるというわけです。これについては営業さんとよく話し合いました。そして次の日から久しぶりの労働になる訳ですが、当時は目先の10万円にしか目がいかず、気が付きませんでした。この時の季節は夏真っ盛り。さらに冷暖房などない場所(成果を保存する冷蔵庫はありますが、仕分けは外)での作業です。更に数か月もろくに動かしていない体をいきなり動かすのです。

 

いざ労働開始。青果が詰まった箱を出荷用コンテナへ移し、そのコンテナをトラックへ運ぶという作業です。青果は主に大根・白菜・キャベツやカボチャなどがギッシリ詰まった段ボール。重さは一つの段ボールで約4.5キロくらいでしょうか。一つ二つなら何とかるけれど数百もの段ボールを仕分けるのです。そして炎天下・直射ではないにしろ冷房はなく、自然の風だけが頼りです。当然、普段動いていなかったものだから、体中から汗が噴き出ます。お金がなかったので飲み物は近くにあった水道か、もしくはトイレの中に設置してある手洗い場で補給しました。稼がなければならないと思い、せっせと働いていくうちに、徐々に体に異変が起こっていきました。

 

大丈夫だと思っていたのに

 

働き始めて6・7時間が経過したあたりでしょうか。何か妙に久しぶりの労働で既に疲れてものすごい怠さはあったのですが、妙に筋肉痛というよりも突っ張る現象が起きていました。熱中症にはならないよう、水分はマメに補給していたのですが、まぁこの時はただの筋肉痛だと思って作業していましたが、今度は突然、ものすごい吐き気に襲われます。さすがに異変に気が付きましたが、時すでに遅しで吐き気は治まらず、トイレに駆け込むも、思った以上に体が重く動けずに、トイレにたどり着く前に嘔吐。そしてそのまま立ち上がることもできずに倒れこんでしまいました。

 

さすがに、自分が嘔吐した場所での転倒は避ける事ができましたが、倒れてからはもう、立ち上がる事ができません。というか倒れた下のコンクリートが妙にヒンヤリしてまして、気持ちよかったんですよね。炎天下の夏場だったのにも関わらずです。多分、そう感じてしまうくらい自分の「体温」は高かったのでしょう。しばらくしてその職場の社員の方が集まって、自分を起こして冷蔵庫へ、そして更に数分後、救急車が到着しました。間違いなく、自分を襲ったこの症状は「熱中症」です。

 

プラスどころかマイナスになるところだった

 

皆に見られながら、汗でびっしょりの自分は救急隊員に車まで運ばれました。多分、自分のバイタル?(脈とかなんとか)を図るのでしょうか、指に洗濯ばさみみたいなものを挟まれ、その後に質問を受けました。恐らくは意識がハッキリしているかどうかのチェックです。転倒時の意識は朦朧としていましたが、冷蔵庫へ運ばれて少ししたら、意識はハッキリしたので、黙々と答える事ができました。でも問題はここからです。

 

熱中症には軽度から重度までのレベルがあり、軽度は少しの倦怠感とむくみやこむら返り。最初に自分が感じた異変は筋肉痛ではなく、こむら返りだったみたいです。そして重度になるにつれ、頭痛や吐き気、更には動くこともできず意識も朦朧とし、そして死に至るという恐ろしい症状なのです。意識が朦朧として倒れてしまった所まできていたので自分の今の熱中症レベルはかなり重度のものだったと考えられるでしょう。本来ならこのまま治療を受けるため、病院へ運ばれる流れとなります。

 

そうなるとどういったことになるでしょうか。独り身なのでまずは、家族へ連絡がいきますよね。家族は自分がなぜ、自分がこんなところで働いているかなぞ知りません。発覚すれば、今のお粗末な現状をも知られてしまいます。更にこのまま病院へ運ばれてしまい、治療を行えば「費用」がかかります。保険に入っているどころか、限られた日数をしのぐ数千円の生活費しかありません。そんな「行く先」を想像し、とても恐怖した自分がとった行動は「超我慢」でした。それはもう必死に、引くくらいのレベルで「俺、もう大丈夫っスよ。ピンピンしてますよ」と超絶アピールです。実際はまだ、頭がガンガンしていますし、少し動けば体がピキピキと痛むのですが、そんなことよりも辛い地獄が待っているので必死でした。隊員の方も不思議に思いながらも、周りの方々と相談し、まぁ本人がそう言うならと認めてもらい、病院への搬送は避ける事ができました。

 

代償は大きかったが

 

救急車が帰った後は、職場の皆さんにひたすら謝りました。もちろん駆け付けた派遣の営業さんにも平謝りです。とりあえずその日は帰らせてもらいましたが、帰宅した後も頭痛と倦怠感、意識はありましたが筋肉痛も手伝って全身が痛く、全く動けませんでした。冷房を全開にして氷水をガブ飲みし、なんとか明日には治ってくれと願うばかりでした。しかし次の日には、頭痛と倦怠感は無くなりましたが体が動かず、電話をして休ませてもらいました。全くもって情けない。結果、働けるようになるまで約5日かかりました。

 

5日間も休んでしまったにも関わらず、クビにされることなく働かせてくれたことには本当に感謝してもしきれません。その後はなんとか無事に5日間働くことができ、数日後に早退した分も含め、合計5万8千円を得る事ができました。しかしまだ5万8千円です。働き始めるまでの期間に少しもたついて、支払いの期限までは後4日しかありませんでした。手持ちの生活費を含めても6万円ジャストです。まだ足りません。どうしようかと悩んだあげく、自分は部屋を見渡し、部屋にある様々なモノを売って、お金を作ろうと考えました。

 

まずはテレビ。液晶の少し古めのテレビです。そしてガスコンロ。当時の食生活、金策に必死だったころの食生活は、お金があった頃に買ったお米を炊き、それにおかかと醤油をまぶしたいわゆる「ねこまんま」がメインでした。なのでガスコンロは滅多に使う事がなかったので、選びました。あとは冷蔵庫です。熱中症でお世話になった際におおいに役に立ちましたが、洗濯機だけは手放せなかったので、選びました。どれもそんなに新しいものではないので、不安でした。「これを売っても足りなかったら」その先の答えを見出すことが事ができないまま、リサイクルショップへ。

 

冷や汗にまみれた夏の戦

 

1人で運ぶにはやや重い家電を車に積み、リサイクルショップへ赴きました。その時の緊張感はすさまじく、冷や汗が止まりません。そしてお店に着き、店員さんと一緒に家具を運び、査定です。番号札を渡され、まさに神に祈る気持ちで待つこと数十分。「キサヨト様、査定が終わりました」とのアナウンス。「時はきた」某プロレスラーの名言を心で叫びいざレジへ。

 

手に汗握ったまま向かい、そして店員さんから告げられたその買取金額は。なんと4万円ピッタリ。テレビが2万、冷蔵庫が1万5千、ガスコンロが5千円でした。買取書類にサインをして、現金をいただく。手持ち6万円+買取金額4万円。合計10万円!支払日まで残り2日。自業自得で情けない金策でしたが無事に支払い金額を上回る事ができました。目標達成です。

 

ここからが本当の地獄だ

 

なんとか、この月の支払いを終える事ができ、生活費も一万ちょっと得る事ができました。しかし忘れてはならないことがありますよね。いえ、その後も8万5千円の月々の支払いが残ってますし、それは忘れずに肝に銘じました。でもそれだけではないですよね。まだアレが残っています。圧倒的戦闘力(金額)をもつアレです。「住民税」です。

 

熱中症でうなされている間にも、何通かポストに入っていましたが、逃げ続けていました「催促状」も血の色に見えるかのように赤い封筒です。自分はまだ、たったひと月の支払いを終えたに過ぎないのです。ここからが本当に厳しく、今思い出しても二度と戻りたくないと思う、堕落した者が迎える末路です。

 

このお話はまた今度にしようともいます。長い長い日記になってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

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