底上がり

中年になってから少し頑張ってみるブログ

借金人生だった日々2 その5

おはようございます。まだまだ無職を維持しています中年です。無収入の間どうにかお金を使わぬようできるだけ引きこもっているのですが、どうしても部屋にいるだけではいたたまれなくなります。ただyoutube見てるだけとか、寝ているだけなら無限にできそうなんですが、ブログ生活を始めてからというものいざ記事を書こうと思うと、何を書こうか「ネタ」を思いつくのに時間がかかってしまうのです。まぁ「このままではいけない」と脳が警告してくれているので、サボり防止の抑止力になっています。

 

そんなわけでたまに散歩に出たり少し走ってみたりするのですが今はめちゃくちゃ寒いですね。やっと冬らしくなったというべきか。そういえばいつの間にか悩まされていた蚊がいなくなりました。これからドンドンと寒くなっていくので、皆様もできるだけ暖かくしてお出かけをしましょう。さて前置きが長くなってしまいましたが、借金物語を書いていこうと思います。これは「借金人生だった日々2その4」の続きとなっております。サイドバーのリンクに過去記事がありますので、是非キサヨトの馬鹿っぷりを時系列でお楽しみください。(その4はこちら↓)

 

sokoagari.hatenadiary.jp 

 

前回は忙しさを図る事ができずに無理をした結果、高熱を出してしまった所まででしたね。さて、保険証のない状態でキサヨトはどのようにこの不調を乗り切ったのでしょうか。

 

まず出勤は無理だった

 

体が怠く息が苦しく頭が痛いさらに、途方もない悪寒が襲う今出勤したら確実に社員の人に帰らされるだろうと思い、やむなく会社に電話をしこの日は休みを取りました。保険証がなく10割負担になるが背に腹代えられぬと病院へ行く支度をしようとしても、全く体が動かない。それどころか頭痛が激しくて頭が爆発しそうでした。元々偏頭痛持ちで、常に常備していた頭痛薬が手元にあったので、なんとか頭痛だけでも治そうと服用しすぐに横になった。

 

トイレは仕方ないが水分補給をするために、いちいち動くのがしんどいので、コップと水をいれたヤカンを近くに置き、無理矢理眠ることにしました。時給換算なので、休めば休んだ分だけ収入が減る。やっとここまできたのにまた落下し始めていると自己嫌悪になりつつも、頭痛が治まってくれることを祈った。どれくらい時間が経ったか覚えていないが、いつの間にか意識が薄くなり眠る事ができました。

 

神々しく見えた24時間営業

 

横になって眠って、しばらくして目が覚めた。体の怠さはあまり変わっていなかったが頭痛は少し治まっていました。よしこれなら病院に行けるかもと時計を見てみると午後22時。日々の疲れもあったのだろうか、10時間以上も眠ってしまっていた。体温を測ってみると38.5度くらいまで下がっていましたが、この日は病院に行くことができず、このまま寝たとしても回復しているかどうか分からない。少し考えた後「ある店」の存在に気が付いた。

 

当時は市の中心地に住んでいたため、あまり遠くへ行かずとも飲食店やコンビニが沢山あった、その中で閃いたのが「ドラッグストア」の存在です。ちょっとした食品から様々な漢方、鎮痛剤も解熱剤も一通り揃っていて尚且つ24時間営業です。本当は薬剤師さんを通して、ちょっと強めの薬があればと考えましたが、四の五の言っていられません。重い体を起こしなんとかお店へ車を走らせました。

 

ボーっとしつつも購入したのは頭痛薬ではなくちゃんとした解熱剤と座薬。あとは水分補給のためのお茶とポカリスエットだったと思います。帰宅後にすぐ服用。何か食べなきゃとは思うも全くお腹が空いてなかったので、可能な限り水分を取りそしてまた横になる。頼むから治ってくれと神頼みしつつ。また眠りにつきました。

 

ゴリ押しな回復方法

 

翌日、セットしておいた携帯電話のアラームで目を覚ましました。薬も飲んだし大丈夫だろうと思っていたのですが、思っていた以上に体が重い。そして頭も痛い苦しい。おかしいなと思いつつ熱を測ると再び39度以上になっていた。数千円使って講じた策もあえなく失敗。仕方なくこの日も会社を休むことにしました。これで2日目。夜勤も含めると4回分の欠勤。お金に換算すると軽く3万円以上はロスしているという計算になります。

 

さすがにこれ以上の欠勤はマズいと思い、この日はまさに「死に物狂い」で病院へ向かいました。受付の看護師さんに「保健相はないので全負担します」と伝え、診察室へ向かいます。色々診てもらった結果、インフルエンザではなかったことは幸運でしたが、過労による発熱かなと告げられました。実際そうかもしれません。寝る間も惜しんで働いていたので。その後は熱が高いからと点滴を受け、薬をもらい帰宅。診察代はうろ覚えですが確か、1万2千円くらいしたと思います。せっかく貯金できたお金を早々に失い、絶望を感じながら再び眠りにつきました。次の日にはバッチリ回復し、早々に出勤しました。やはり病院でもらう薬は絶大ですね。

 

初めて釣った魚の名前はアレだった

 

体調回復後、期間限定であった青果仕分け作業も最終日を迎え、過酷な掛け持ち作業も無事に乗り切る事ができました、休んでいなければ約10日間の出勤。2日間ロスしたのは痛かったけれどまぁ、これも今思えば良い思い出です。そしてしばらく時が経ち、当時こんな自分を仲間と思ってくれた会社の仕事仲間数人で、海に釣りに行くことになりました。当時、釣りをするのは初めてで、仕掛けの結び方とかエサの付け方とかを苦戦しながらですが行い、友人に教わって初のキャスト。

 

場所は漁港内で時間は夕暮れ過ぎあたりだったでしょうか。今の時期はアレが釣れるからと皆は口をそろえて言うのですが、アレとは何なのかと待っているとククッと自分の用意した釣り竿が引いているのが見えました。「きた!」と喜び勇んでリールを巻いていくと、皆が行っていたアレが海面をバタつかせながら付いてきました。詳しい名称は「エゾイソアイナメ」この付近での通称は「ドンコ」と言うらしい。形は何と言えばいいのか、丸っこいハゼが大きくなったような感じです。どことなく深海魚を思わせるような風貌に少し面食らっていましたが、「おぉ 釣れたじゃん」と皆のおめでとうコールがとても嬉しかった。その後数匹が釣れました。

 

友人の1人がそのドンコの調理方法を教えてくれたのでメモを取って帰宅後に調理開始。身はブツ切りで適当な野菜と取り分けた肝を水を入れた鍋に入れ、沸騰したら火を止め味噌を入れる。それだけの簡単「ドンコ汁」これがまたとてつもなく美味しかったのです。自分で釣った魚を調理して食べる。この瞬間から釣りが好きになり、趣味になっていくのでした。

 

 

今回はここまでです。熱も回復し趣味もでき、順調に生活していくキサヨトにまた、予期せぬ出来事が起こります。人生良い事が起こればその倍、嫌な事に見舞われる気がします。そんな悪循環に立ち向かうキサヨトの冒険の続きは「その6」へ

 

それでは その6へ続きます。

 

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