底上がり

中年になってから少し頑張ってみるブログ

思い出の味を再現するには愛を入れるべし

こんにちわ。日清のカレーヌードルが大好きな中年です。シーフードも好きなのですが、最近はカレーばっかり食べている感じです。子供の頃からカレーが大好きで、カレーばっかり食べていると黄色くなるなんてよく言われていた記憶がありますが、多分大丈夫です。根拠がないですが。実は今回の記事でこの底上がり、ついに30記事に到達します。1日1記事、もしくは2記事更新でやってきて、やっと30記事になります。

 

まだまだまだ、序盤の序盤ですけれど自分にとっては信じられないくらいの更新記録です。まだ飽きずに書けているのは好きなのもありますが、やっと「記事を書くこと」に癖が付き始めてきたのかなと。まぁ今後、更新速度は落ちていくと思います。今は無職だからこそのペースですが、来年には社会人として再び頑張らないといけないので。それでも目標である「収益化」に向けて書き続けていきたいと思います。自分にそう思わせてくれるのも、日ごろこんな長文を読んで下さっている皆様のおかげです。ありがとうございます。

 

前置きが長くなりましたが、今回は子供の頃に食べた思い出の料理といいますか、母親が作ってくれたもの然り、今も印象に残る料理のお話を書いていこうかと思います。

 

ワカメツナサラダ

 

母親の料理の1つで、定番なサラダの1つです。もどしたワカメにツナ缶のツナとレタス・輪切りにしたキュウリを入れて、マヨネーズで和えたサラダです。ワカメとツナが意外にマッチして、しんなりしたレタスとキュウリも食べやすく美味しい一品でした。名称は今考えました。当時は普通に「サラダ」と言われて食べていたので。今思えばこの一品で野菜と海のミネラルの両方が摂れる万能サラダだったんだなぁと感心してます。

 

どちらかというと、料理があまり得意ではなかった母の渾身のメニューだったかと思います。時にマヨネーズを入れ過ぎて他の味が無くなってしまったこともありましたが、良き思い出の味です。ツナの代わりに「カニかまぼこ」をほぐしたものが入っていたこともあります。簡単に再現できるので、たまに作って食べたりします。

 

卵とキャベツの炒め和え

 

名前の通り切ったキャベツを炒めて、しんなりしたら溶き卵をいれて一緒に炒めて完成された一品です。塩コショウで味付けされそればかりの味になると思いきや、卵のまろやかさが手伝って「優しい味」にできあがった一品でした。そんなことはつゆ知らず、当時はご飯のおかずとしては薄味だと、醤油をかけて食べていた記憶があります。

 

成人して大人になった時に聞いた話なんですが、この料理が出るときは決まって「金欠」だったとの事。両親ともにパチンコが大好きだったので、多分大負けした時の定番料理だったのではと思います。子供の頃はそんなことが分からず、肉が入ってないことに文句をいっていたので、その話を聞いて申し訳ない気持ちになりました。

 

タレ付きの肉団子

 

これは母が契約していた「生協」さんの一品です。3~4人前くらいので1パックになっていて、パックから取り出してフライパンで炒めて、お皿に上げて最後に付属のタレをかけて完成です。他にも色々と生協さんで購入していましたが、その中でも飛び切り印象に残っているのが、この肉団子です。4人家族で小皿に分ける事をせずに、「1人〇個までね」と決めてから食べる。食べているうちに数が分からなくなって、弟と取り合いをした記憶があります。

 

程よい一口サイズの肉団子にタレが良く絡んでとても美味しい1品でした。よく覚えていないんですが、何かがあってひどく落ち込んだ時の夕飯がこれで「とりあえずご飯食べな」と言われ、泣きながら食べたことがあって、すごく印象深い食べ物でした。今も生協さんであるのでしょうか。どんな名称なのかも覚えていません。

 

1つ事件がありました

 

思い出の味を書いている中で1つ、今も忘れられない事件があったのでお話しします。品物は「サケのフレーク」半生のサケの身をほぐしてあるものを瓶爪されたもので、ご飯のふりかけとして食べていたものです。大人になって実家に住んでいたころ、いつだったか1人でご飯を食べている時に「これも食べちゃって」と残りの少ないサケフレークを母から受け取って、ふりかけて食べたのですが、なんだかいつもと違う「妙な味」だったのです。まぁ大丈夫だろうとその時は食べてしまったのですが、大丈夫ではありませんでした。

 

食後の数時間後に急に腹痛と吐き気に襲われトイレから出られなくなってしまい、あまりの辛さに助けを呼んだのですが応答なし。おかしいと思って何とかトイレから出てみると誰もいない。両親は出かけていて数時間帰ってこなかったのですが、その間自分はトイレで苦しんでいました。両親が帰ってきたときは自分もいくらか楽になったので助かりましたが。原因はサケフレークが完全に腐っていて、それを食べたために食中毒になってしまったのです。話を聞いた母は「あらやだ気を付けなきゃねぇ」なんて笑っていましたが。

 

皆さまは食べ物の味が変だった時は食べるのをやめてくださいね。結構辛かったです。

 

以上、思い出の味回でした。皆様の中にも「思い出に残る料理」がいくつかあると思います。それが母親や父親が作ったもので、再現しても違った味になってしまうのはきっと、当時の料理の中に「愛情」が入っていたからだと思います。大切にしていきたい思い出ですよね。

 

今回も読んで頂きありがとうございました。

それではまた。

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