底上がり

中年になってから少し頑張ってみるブログ

願い事

もうすぐ12月になりますね。世間は何かと忙しさに過ぎる師走。年末にはクリスマス、そして大晦日を迎え、その後2019年元旦となるわけですよね。軒並み「平成最期」と騒がれている昨今ですが、自分には全くそんな特別味はなく、ただ平凡と世を生き歩いています。

 

特に一人暮らしを始めてから一気に、こういったイベントには無頓着になりました。クリスマスでも大晦日でも自分にとっては「ごく普通の日」なのです。今後はどうなるのか。1年後2年後、そういえば2020年には東京オリンピックがあるんでしたね。これを機に日本に熱い活気が出てくるといいですね。悲しいニュースばかりですものね。三箇日には毎年家族で初詣に出かけるのですが来年は、何かを「神頼み」してみようかと考えています。どうでもいいと思う事もあるけれど、このままではいけないと思う事もあり、相変わらず確定できない性格なのです。

 

どんな時でも余裕を持つこと

 

正直、何かが起こるとすごく焦る性格です。対処できる方法を完璧にできるようになればそうでもないのですが、目の前で起こる未知の出来事や理解できない問いをかけられたとき、知らない単語や突然話しかけられた時。頭の中のロード時間が長くなってしまい、中々答えられない時があります。そういう時は「何かしようとしていたこと」をも頭から抜けてしまうほど焦ります。早口になってしまったり、思わぬ動作をしてしまったり。誰しもがそうなのかもしれませんが、大抵の人に「焦らなくていい」といわれるあたり、自分は相当焦っているように見えるのでしょう。

 

問われたことに「分からない」とすぐ答えられず、どうにかして答えようと考えてしまいます。考えようにも頭が真っ白になっているので実際、何を考えているかも理解できていない状態ですが、何とかしようという意志だけは働くみたいで、結果意味不明な事を発言したりします。コミュ障あるあるだと思います。

 

人の言葉が聞き取れない

 

恐らく最も、対話した時に悩んでいることです。人の話す言葉が聞き取れないことがあります。いや、聞こえるのですがそれが「言葉」として聞こえずらいのです。比較的小さい国と呼ばれるこの日本でも、県によっては様々な方言や「訛り」があり、その県では通用するものも、他県ではそうでない時があります。同国生まれの同県育ちの人の言葉でさえ、早口の人であったり話し方に特徴があったりで一言でその言葉が理解できる人とそうでない人がいると思います。

 

今はそういう「何を言っているのか理解できない」場合にはきちんと聞き直す事ができるようになりましたが、昔はそれができず必死に言われたことを頭の中で考えていました。もちろん長い時間がかかるので相手は返事が帰ってこない自分に首を傾げてしまう。発する声の「音」としては聞き取れるのです。ただその音が「言葉」として理解するのが難しいのです。相手が英語で話してきているのと同じ状況です。コミュ障であるのも手伝って、ちょっとした早口であっても訛りであっても理解に時間がかかります。

 

継続する力が欲しい

 

どうせ「自分の人生だから」どうなったっていい、何かを諦めたときとか逃げたときの反動が自分だけに返ってくるのなら別に構わない。自分が「どこまでできて、どこまでができないのか」定職につけず転がり続けた結果、悟った定義があって、これをどうしても壊すことができないのです。嫌な事があったらすぐに逃げる。「自分を守れるのは自分だけ」な生き方をしてきたので、どんなことでもあれこれと、都合の良い、居心地の良い方向へと転換しようという癖が治りません。

 

「好きなこと」「好きなもの」もあるにはあるけど、それに対してそこまでの執着を持つことができず、始めたはいいがすぐに飽きます。再びやり直すこともあるのですが、そんなに続きません。全く駄目だなとは思っている一部です。去年までは個人的に頑張ったと思っているのですが、今年の下半期からまた、「逃げ人生」が始まってしまいました。今はやや頑張っているところですが、綱渡りです。この薄い意志もなんとかしたいなと思っています。

 

どれか一つが叶うとしたら

 

「神様お願いです。願いを聞いてください」お賽銭を投げて手を合わせ、もしこれらのどれかが改善されるのであれば、上記の最期に書いた「継続」を選びます。事態に焦ってしまっても継続していけば慣れてくるかもしれません。言葉が理解できなくても継続していけば聞き取ることができるようになるかもしれません。このブログも書き続けていけば、もしかしたら偏屈な自分の思想を、理解してくれる人が読んでくれるかもしれません。理解していただいたところで、変われるかどうかは分かりませんが。

 

継続して何かを達成したことは今までありません。積み重ねたナニカを見上げて「続けてよかった」と思える瞬間に立ち会えたら、この生き方にも意味があったのかなと感じることができるかもしれません。「かもしれません」ばかりですね。大目に見てください。

 

それではまた

 

 

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