底上がり

中年になってから少し頑張ってみるブログ

なぜこんな人間になってしまったのだろうか

おはようございます。昨晩から起きている無職でございます。現在は午前6時ごろです。まもなく日が明けて明るくなるころですね。自分は皆さまが起きて、仕事の支度をしている頃に眠ります。毎日のお仕事お疲れ様です。忙しい日々の中にせめて皆様にとって良い事が起こりますように。

 

さて今回は自分がなぜこんな逃げの人生を送ることになったのかを解析しつつ書いていこうかと思います。自分の両親は自分とほぼ真逆で、定年まで仕事を投げることなくやり遂げた方々で、弟も新卒で入った会社を今も頑張って勤めているなかで、自分はもう数えきれないくらい転職を繰り返しています。解析については今更何を言っているんだと思われるでしょうが、自分でも「自分」を悟る事ができたのが最近の事なので返す言葉がございません。それでは書いていきましょう。

 

長い間いじめられっ子だった

 

要因と言いますが原因かもしれないですが、自分は生まれつき内気で泣き虫でした。それを逆手にいじめられた過去があります。幼稚園の頃まではそうでもなかったはずですが、小学校・中学校の9年間は今も鮮明に覚えているくらい、長い間いじめにあっていました。今思えばの良い訳ですが、当時はやられてもやりかえさずにいたせいもあるか、良い的だったんですよね。クラスの中にはどうしてもそう言った「キャラ」といいますか、いじられやすい人っていると思うのです。

 

自分のクラスにも何人かはそういう人がいましたが、大抵のターゲットは自分でした。皆の目にはそいつらよりも自分が目立っていたのでしょうか。不意に叩かれたり蹴られたり、目があえば笑われたり罵られたり。今思っても忘れられません。いじめは絶対悪です。いじめる側はいずれそんなことは忘れてしまうのでしょうが、いじめられる側はその行為を一言一句一動作を、一生覚えています。そして年が経つにつれ憎悪も増しますので、絶対にいじめはやめてください。

 

熱しやすく冷めやすい

 

飽き性の典型なのかもですが、当時は一旦熱が入るとものすごい集中します。ですがちょっとでも嫌になるとすぐに冷めます。高校卒業後に専門学校に入った件を過去に書いたと思いますが、多分当時は建築に関して熱があったのでしょう。その学校は筆記テストなどなく、面接をして採用・合格する学校でしたので、学の低い自分でも入学できたというわけです。今考えると本当に愚かな行為だったなと思います。

 

仕事をしていても多分そうです。楽しい事だったら延々とやっていられるんですが、少し嫌になる、嫌な思いをすると辞めたくなる。まぁ仕事なのでそこでスルっと辞めることはできないのですが、嫌な事をするというのは結構なストレスで、そのストレスが溜まりに溜まって、それで辞めてしまったんだと思います。それが続くと今度は癖になってしまい、続きそうにないなと思えば、本腰を入れる前に辞めてしまうのです。

 

深く入っていかない

 

これも飽き性の典型なのかもしれません。仮に好きな事ができてのめりこみはするものの、そんなに凝ることはせず、比較的浅いところまでしか入っていかない。趣味の件でも、自分がやっている範囲が全部だと思い、人と話しても、相手はもっと深いところまでやっているので、話に入り込めないんですよね。

 

例えば釣りを初めてやってみて、そこらへんの海で適当な虫エサで偶然にも魚が釣れて、それがきっかけで好きになってそうなると今度はその海にいる魚の種類とか釣り仕掛けの種類とか、釣り方とかを勉強してもっと釣りを楽しみたいと思うのですが、そこらへんを良く学ばずに適当にしてしまうんです。だから、同じ「好き」でも「入り込み方・学び方」が違うので、同じ趣味の話でも合わないのです。今現在も釣りは趣味の1つです。最近はやっていませんが。。

 

自分に自信がもてない

 

これは性格の問題なのでしょうか。何に対してもですが自分が行ってきたことに自信を持てません。例えば仕事面ですごく評価される仕事。ノルマ達成や仕事態度の面で役職の方や重役の方に褒められたとしても、それが本当に自分がやったことなのか不安になるのです。偶然できたことかもしれないし、影で誰かが道筋を作ってくれた上を通っただけかもしれないとか。「責任」という言葉がとてつもなく重く感じるんですよね。

 

まぁこれは過去にいじめられてきた事が原因なのでしょうが、けなされることはもちろん嫌ですが、褒められることも実は好きではないんです。要は「注目されたくない」んです。評価するなら周りの誰かに当てて、自分は遠くでおめでとうと拍手していればいい、怒られるのもなんとか避けて、運悪く誰かが怒られていたらそれを遠くで見て、ああいうふうに動くのはやめようと心の中で思うような。姑息な人間でいたいんです。

 

生まれ持ってのものもあるかもしれませんが、大抵は生きていくうえで様々な出来事の中で、自分という意志が曲がっていった結果。こうなってしまったのかなと考えます。過去を思い返すのは苦痛です。「良い思い出」と言うのはそうそうあるものではなく、昔に戻りたいなどとは絶対に思いません。生きなければならない。どのような境遇の持ち主でもそれは皆同じだと思います。こんな偏屈な人間でも生きられるところまで生きます。

 

このブログはそんな姑息な人間が書き綴っております。

それではまた。

 

 

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