底上がり

中年になってから少し頑張ってみるブログ

決めた意志を保ち続けるために

深夜ですね。少し気分転換をしてきました。

もしまだ辞めずに働いていたら本日は2直で、午後から出勤の予定だったからもう少し起きていても、空が明るくなるころに寝れば、丁度良い時間に起きれるのです。ですがもうそんな配慮はしなくてもいい。こんなに後悔に潰されているならなぜ辞めたのだろうか。そんな気持ちを少しでも紛らわそうと、車で少し出かけてみたのですが、思えば10月から11月にかけての一か月間は、そうやって出かけて「今後」を改める旅に出ていたのを忘れてしまっていました。たった1月前だったのに。

 

なぜ生きているのか、何の為に生きているのか、生きる意味なんてあるのだろうか。意志があったとしても無かったにしても今は生きなければならないのです。どういった理由であれ、どれだけ情けなくとも惨めでも生きなければならない。なんて誓った10月でした。あと少しだけこの情けない「後悔ブログ」を書かせてください。

 

何をしなきゃならないのかは既に分かっている

 

当然ながら、生きるために生活をするためにはお金が必要です。そのお金を得るためには労働をしなければなりません。大した学もない自分は特に、肉体を用いた労働をし、社会に貢献し、その報酬としての給料を得て生活をしなければなりません。無職で自由だからと楽しんではいけない。貯金があるからまだ平気だと安堵してはいけない。少し前から仕事が見つかるまで「日雇い」の仕事を探しているのですが、この年末ともなるとなかなか見つからないですね。

 

とすれば今自分が何をすべきか。多分、仕事先の面接の連絡が来るまで「待つ」しかないのです。派遣を変えることはできません。保険やら年金やらはそのままで、次の会社を紹介してもらえるので変えられません。もし単独で正社員の応募を行ったとしても、絶対に採用されません。試していないがそれだけは言えます。それこそ来年早々もきっと彷徨っているはずです。

 

欲しい安堵は自分で捨ててきた

 

今回よりも前に入社した会社を退職した理由は、「雇用期間切れ」でした。ありがたいことに「直接雇用」のお話を結構前からもらっていたのですが、社員になるのを拒んだため退職しました。やはりそこでも「人間関係」が引っ掛かりました。避けては通れないと思っていても、我慢することができませんでした。駄目ですね自分は。恐らくは次の会社に入社できたとしても、辞めてしまうのかもしれません。

 

ですが、アラフォー中年になるまでに、何回も転がり続けてやっと気が付いたことは、やはり自分は「人と関わること」に関してはとても苦手で治しようのない個性なのだということに気が付きました。気が付くのが遅すぎて余計に情けなくなってしまいますが、ようやく気が付くことができました。

 

きちんと成すべきことを成してから

 

今からでも遅くはない、といいますか駄目でもやらないと生きていけないですからね。せめて親が生きているうちは、自分は社会人として生きていたいと思うのです。親孝行なんてほとんどした記憶はありませんし、これからできるかどうか分かりません。性格上、結婚はとうに諦めましたし、お金も自分が食べるだけで精いっぱいだし。それでもせめて、これから先も心配はさせるかもしれませんが「親に迷惑」だけは何としてでもかけないようにしたいと誓い。今も生きています。

 

消えたいけれど消えない。自分が消える時は、両親が亡くなるのを看取って、喪主をして、その後自分も高齢になり「働くことができなくなるまで」働いてから消えようと考えています。そのために今は必死にならなければならないのです。落ち込んでいる場合ではないのだと。さっき車内で自分に言い聞かせてきました。

 

まずは認める事から始めました

 

人間は1人で生きることはできません。1人で生きているつもりでも、どこかで誰かのお世話があって生かされています。自分も1人のつもりでいても、その時の行動の1つ1つがどこかの誰かの為になっているのだと。全く気が付くことは無いし、気が付かれることもない。でもそうやって押して押されて生きている生かされている。だからといって「1人じゃない」とは言いません。自分は1人でいることが好きです。そしてそれを誰かに理解してもらう事は難しいと思っています。

 

昔は1人でいることが悪い事だと言われてきましたし、自分もそう思ってきました。どうしても1人になってしまう自分が嫌いでした。まぁ色々とあって「1人でいる自分を好きになる事ができた」のは本当に最近で、それからは1人でいる事は苦ではなくなりました。唯一の生存方法ですね。何をしても1人になってしまうので、自分が自分を好きにならなければ、とても生きる事などできないのです。

 

この先の生き方

 

この先、後何十年経とうともきっと自分は1人で生きると思います。でもそれを嘆くことなく、後悔することなく、驕ることなく、皮肉にもせず。こんな自分でも何か「楽しめるもの」を少しずつ探しながら、生きていきたいと思いました。

 

惨めで情けない生き方になるでしょうが、そんな軌跡でも綴り続けて、この全国でどこかの誰かがもし、自分と同じような事で苦しんでいて、偶然、この日記を読むことがあるような奇跡が起こったのなら、この長い駄文も報われるのかなと思います。

 

ありがとうございました。また今日から意志を保ち続けられるよう頑張ります。

それではまた。

 

 

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