底上がり

中年になってから少し頑張ってみるブログ

無駄に考えた無駄ばかりの自己改変対策

こんばんわ。ここ数日、妙に気分が良くなくブログ更新を怠っていた中年です。日曜日である昨日は気分を変えようと床屋へ行きまして、丸坊主にしてきたのです。去年の長くやっていた仕事を辞めた際にも気分を変えようと人生初の丸坊主にしてから今回で3回目になる丸坊主。最初は恥ずかしくて帽子を被っていたのですが、次第に慣れてきて今はそのまま平気でコンビニ等へ入ることが可能になりました。

 

次に勤める仕事もこれくらい平気に慣れてくれるといいのにと思うのですが、中々そうはいかないものです。メンタルを変えるというのは難しいものです。

 

 

記憶喪失を望む

 

 

今までは散々、嫌なこの世の中からいなくなりたいだとか、存在が消えてしまえばいいとか等考えてきた自分ですが、それよりもローリスクでまだ、この世での生活ができそうな「消去法」があるのを知りました。それは「記憶喪失」です。

 

今の世の中が嫌なのは過去に嫌な目にあった回数が多くて、やり直そうとするたびに再び同じ嫌な事が起きてしまうのではないかと怯えてしまうからだと。ならば過去の出来事そのものが消えてしまえばそれが心機一転になるのではと思うのです。どうすれば記憶が消えるのでしょうか。できるなら別に、嫌な事に限らず今までの良いものも消えてしまって構わないと思っている自分はもう、末期なのかもしれません…。

 

 

崇め人を求める

 

 

世界に影響を及ぼした歴史上の人物とか、名言・格言を残した偉人、もしくはリスペクトしている歌手の歌や尊敬している人の言葉であったり。とにかく自身の「想い人」が放つ言葉と言うのは強力な力を持っています。信じる・思い込むことでこれまでの悩みや苦しみから考えを改める事ができ、前へ進める勇気が出てくることでしょう。

 

逆も然りで、そういった人らが放つ言葉に毒があるのだとしたら、それもとても強力でその言葉だけで人を殺めてしまいかねません。たかが「言葉」でも人によってはそれくらい影響のあるものなのです。

 

 

逃避

 

 

苦しいと思う何もかも捨てて逃げてしまう事。後先考えることなくその道がいかに険しくともひたすらに逃げ続ける事。ある意味強いメンタルが必要ですが、これも一種の生き方なのかなと思います。辛み苦しみを思う事なく、全て捨ててしまえば良いのです。

 

それでも考えなければならない事に変わりはないでしょう。逃げ続ける事の大変さと立ち向かい前進する大変さと。天秤にかけたらどちらが辛いのでしょうかね。

 

何か今回は意味の分からない記事になってしまいました。

また次回

 

今回も読んで頂きありがとうございました。

 

 

何もなければ毎日の朝日を感じる事を意味としよう

こんばんわ。自ら選び進んだ道である無職生活が始まって1週間が経ちました中年です。あっという間に過ぎてしまったというか、とても短い1週間に感じました。日々を大事にしているつもりで過ごしていたのですが、実感が湧きません。

 

適度な運動は置いといて、1週間労働から離れてみて何か変わったと問われれば、実はほぼ変わっていない状態です。働く意欲どころか求人サイトを覗こうとする意欲も湧かず、怠けているのは理解できているのですが、中々前に進めません。

 

 

劣等感に落ち潰される

 

 

記事に書いたかどうかは分かりませんが、自分には弟がいます。そしてここからは書いていないと思いますが、両親共に大家族であり兄弟が多く従兄妹が沢山いるのです。しかも知っている従兄妹のほとんどが大学卒のエリートでそれぞれに家庭を持ち、中には相当な資産を持っている方もいます。

 

両親も何十年と同じ職場で働き定年を迎え、弟も高卒でありながら新卒で入った会社に今もずっと勤め続けています。それに比べて自分は何て劣等なのでしょうか。就職しても幾年も持たず退職し、転職を続け更には今無職で引きこもりなのですから。

 

 

思わない日は一度もない

 

 

何時頃からだったでしょうか思えていないのですが、自分の存在の醜さを酷く呪い、この世から消えてしまいたい衝動が始まりました。眠りについた夜に、そのまま逝けたらいいのにとか、常に事故や天災に巻き込まれて逝かないかなとか。しかし自ら死に急ぐことは決してしない臆病者なのです。ただ思うだけ、ただ叫ぶだけ。

 

その衝動は今も続いています。仕事中だったら頭を叩き頬を引っぱたき強制的に考えを変えようと努力しました。どうしても駄目だった時は市販ではあるが薬に頼ったこともありました。それでも駄目な日もありましたが…。

 

 

きっといつかは

 

 

今の自分を教え、助けを求めたことはまだありません。仮に話したとしても自分の弱さを指摘され蹴られて終わりだと思います。これは性分なのか意地なのかどちらかでしょうけれど、自分が辛い思いをするよりも他人に迷惑をかけてしまうほうがよっぽど嫌なのです。でもいつかボロが出るはずですし、積み重ねている劣等感に潰れてしまうでしょう。

 

両親が亡くなったら弟と何もかもとの縁を切り、そして自分が働けなくなる体になるまで生き、そうでなくなったらこの世での生活を終わりにしようと考えています。それは自分が今を生きる原動力でもあります。「できるだけ迷惑をかけずにこの世を去る」事が目標です。そのためにまだ生きなければならない。その「生きるために」自分にとって楽しいと思えることを探しているのです。

 

 

人間は誰しもきっといつかは亡くなります

 

 

どうしようもない窮地に陥ってしまい、消えたいという衝動にかられたときは思う限りの「未練」を探してみれば衝動が緩和するかもしれません。到底無理な事ではなく、手を伸ばせば届きそうな距離にあるモノ。強制的に考えておく「未練」でもいいと思います。何の情報にもなりませんが、無未練である自分はそうやって「自己」を保ってきました。

 

時が経つにすれ今よりもずっと「生きるのが難しい時代」がやってくると思っています。そうなる前に備えておくという話ではなく、そのような時代がきっとくるのだと念頭に入れておいて覚悟しておけば、何も知らないよりかマシかなという程度の話です。生物にとって「日々ただ生きているだけ」それだけでも一生懸命であり必死な行為です。いつかくる終わりを迎える時まで、生きましょう。自分も生きます。

 

今回も読んで頂きありがとうございました。

捜索期間が長いほど感動する見つけた音楽のすばらしさよ

こんばんわ。あと少しで体重が100キロを切りそうな中年です。暑いですねぇ。節約のためになるべく車でのおでかけを控え、エアコンの使用時間を抑えながら生活をしているのですが、部屋にいるにも関わらずひたすら汗を拭う日々を過ごしています。

 

少しずつ続けているウォーキングもそうですが、この季節何もしなくても体重が減っていきますね。「太め体系の方あるある」なんですが、でもこの現象はまだまだ序盤で本当にしんどいのは努力しても減らなくなってしまう時期(いわゆる停滞期)が来てからだと思うので、その状況になってしまっても、キサヨト諦めず頑張ろうと思います。

 

探していた音楽が見つかった時の感動ベスト3

 

 

さて今回は、自分がどこかしらで流れていた音楽を聴いて「これは是非聴き浸りたい」と思って、必死に探して見つけた音楽の「感動度」の高い音楽・歌を書いていこうと思います。

 

第3位は(ババン!)

 

これは自分が専門学校に通っていたころに勤めていたアルバイト「荷物仕分け作業」の現場にて、有線放送で流れていた音楽になります。時期は5月か6月頃だったかな…。何度も流れていた歌で夜勤の作業の夜明け前くらいに聴くと、「あと少しで終わるから頑張ろう」と思えてくる応援ソングでした。The gardens「Future's Memories」です。

 

これは探している途中でテレビでアルバムのCMが流れて知りました。捜索期間は2年くらいです。

 

そして第2位は(バババン!)

 

これは小学校の頃にテレビのアニメのエンディングテーマで知りました。当時いじめにあっていた自分は何もかもが辛くて嫌になっていて、なんとかしたくてもどうしようもない何時かの日々にテレビをつけた時、ちょうど流れた音楽です。綺麗で澄んだ歌声に自然と涙が流れたのを覚えています。その後中学生になり中学2年の頃に夢中になっていたラジオ番組で、当時聞いたのと同じ声質の歌手の歌を聴き、「あぁこの人だ!」と発覚したのですが、その後も月日は流れてしまい、思い出しやっと手にできた一曲でした。遊佐未森「空」です。

 

ちなみに発覚した時に流れた遊佐さんの歌は「東京の空の下」でした。これだけに留まらず何枚かのアルバムを衝動買いした記憶があります。まだ持っています。

捜索期間は忘れてしまった期間も含め、約10年です。

 

そして栄えある第1位は(ドゥルルルルルル・・・ババーン!)

 

これも遊佐未森さんという歌手が発覚した当時に流れた音楽でした。何かのランキングで軒並み1位か2位を独占していて、とてもリズムもテンポもお気に入りだったのですが、曲名を間違って覚えてしまったため苦労しました。歌手名は覚えていてずっとその歌手の歌なのかは分かっていたのですが、曲名が違うので分からずじまい。時が流れGoogle検索が知れ渡り一般的になってきた頃も何度もワードを打ち込むもはずれで、諦めかけていたんのです。

 

そして、趣味のネットサーフィン中ニコニコ動画に出会い、夢中になっていたころに何かのワードを検索した時にポンと出てきたんです。もしやと思って動画を再生すると、必死に探していたあの音楽が流れてきて「あぁぁぁぁぁ~これだぁ!」と部屋で叫んでしまったほど感動したのです。ピカソ「僕の瞳のマーチ」です。

 

歌手名であるピカソは知っていたのです。しかし曲名を間違えて覚えていたのですよね。曲名も「ピカソ」だと思い込んでしまっていた自分は必死で検索するも出てくるのはモダンチョキチョキズさんの「ピピカソ」なんです。僕の瞳のマーチ、本当に探すのに苦労しました。ちなみに捜索期間は数えたら17年くらいになります。ダントツに長かったですねぇ。

 

まだまだ探している曲はあるのですが

 

歌手も曲名も忘れてしまってどうしようもないものや、音楽の欠片も思い出せないでしまっているとか色々なんですが、どこかで不意に流れてきたならば思い出し、今度こそは手に入れて聴き浸りたいなと思いました。皆様もこういった経験はあると思います。検索サイトや動画サイト(実はアップするのは駄目なんですが)も充実している時代ですし忘れていた、好きだったあの曲を見つけるチャンスが巡ってくるかもしれません。

 

今回も読んで頂きありがとうございました。

切られた糸はそよ風にも乗れるほど細かった

こんばんわ。先日、たった2キロを歩いただけなのに筋肉痛にのたうち回っている中年です。日ごろの運動不足がここまで影響しているとは驚きでした。だが今日もしっかり歩いてきました。1キロ…。

ヘタレもいいかげんにしたいです。しなきゃならんのもできるのも自分しかいないのですが。明日からまた頑張ろうと思います。梅雨も明け、とうとう激暑い夏がやってきました。水分補給・適度な休憩・十分な睡眠時間、取られているでしょうか。暑く辛い季節ですが、だからこそできる色んな楽しみもあります。乗り切っていきましょう。

 

今日は派遣事務所に行ってきました

 

退職・入社、また退職と大迷惑をかけてしまった派遣会社。さすがに営業の人も声のトーンが違います。先週の仕事最終日となった日に電話をして本日に事務所を訪れるようにと言われ、赴きました。次の仕事を考える前に、今の自分の精神状態を何とかしないといけない。少し休暇を取り再起を、その時にまた仕事を紹介してくれなどというおこがましいことはできない。

 

この派遣事務所の派遣社員としてやってきて約5年。何とかやってきたけれどとりあえず今は働けない。という旨を伝え、電話越しに「退職」の話をしました。貯金がそんなにあるわけではない。実際今すぐにでも働かなければ尽きる。それでも今は働けない。馬鹿だ大馬鹿だのは十分に理解しているが、それでも情けなく自分の身を甘やかすことにしたのです。

 

 

思っていたほどに細い糸になっていた

 

 

事務所の中へ入ると即、担当営業の人に別室へ移されました。机の前には一枚の紙きれがあり「一身上の都合の為退職します」と一文書かれていました。

 

「キサヨトさんに合う仕事が現在ないので、それで退職の話も出ていたし、とりあえず一度離れるという形にしますので、記入をお願いします」

 

約5年。会社は変わったけれどこれ以上の年月を同じ会社で勤めたことはない。深く重く考えすぎなのはいつもの事ですが、ペンを持ってしばし思いに更けた後、署名をしました。勤めていた会社の作業服等を返却・保険証を手渡しそれで終了しました。

 

自業自得だから仕方ないのだけれど、思っていた以上にあっさりと退職できたのにはちょっと驚いた。自分で切った糸だったが5年渡ってきた割には想像以上に細い糸でした

 

とりあえず

 

完全に無職になりました。とにかくまずは一日一日を大事にして心を落ち着かせてゆっくりと鍛えていくこととします。小学生の夏休みではないけれど、とりあえず9月までには自分を考え直し心身ともに鍛えていきたいと思います。そしてもう二度とこのような馬鹿らしい選択をしないようにします。

 

今回も読んで頂きありがとうございました。

個人的に腕立て100回に換算できるほどの重苦しい話

こんばんわ。今日からしっかりと自らを鍛えねばと、とりあえずウォーキングをしてきました中年です。運動開始から約20分間は動かないと脂肪の燃焼は起こらないというのを踏まえ、このアパート付近を歩いてみたのですが、少し歩いただけで息切れする始末。歩いた距離は約2キロ、30分くらいの散歩コースでしたが現在、足がガクガクしております(笑)今日はこのくらいにしておいてやろう。明日からまた頑張ろうと思うヘタレなのでした。

 

さて今回は

 

今までは決意だとかやるべき事だとか、他の人から見ればどうでもいい文面だったと思いますが、今回もどうでもいい事の続きになります故、もうしばらく中年オッサンの恥ずかしいポエムにお付き合いいただければと思います。

 

前回までは決意と、やるべき事について書きました。今回はそれをするために「諦めたこと」「捨てたこと」を書いていこうかと思います。多分自分だけだと思いますが、何かを決意して進むために、持っている若しくは、叶いそうな夢全てを持っていくわけにはいかないのです。そこまで力持ちでもなく、知識もないので。なので幾つかを捨てて、今回の「真剣」に挑むこととしました。

 

諦めた又は捨てたもの

 

1つは若いころから考えていたもので、しかしもしかしたらよい方向へ持っていくことが来て、叶うかもしれないと思った1つの夢です。それは「結婚」です。過去に「婚活」をしました。いやそれ以前にも何度か婚活と言うか「異性との出会い」を真剣に考え、取り組んだことがあったのですが、駄目でしたし去年に少しうまくいった婚活も結局駄目でした。

 

原因は過去にいじめを受け、心を開くことが難しかったというのがあります。ですが更に「自身の覚悟の無さ」「撤回できない誓い」がありました。前者は今後改善できればまだ余地はあるのかなと思うのですが(その考えも甘いですね)後者の「撤回できない誓い」この誓いはいつだったか、10年以上前に誓ったものです。そしてこれによって積極的になる事ができず、結果破談に終わってしまったのかなと。

 

 

子孫は残さない

 

 

子供時代の自分も、当時の自分もどうしようもないくらいに馬鹿で無能でした。今も変わらずに馬鹿をやっているので、これは直しようがないものだと諦めています。そんな馬鹿な人間の遺伝子を後世に残すなんてとんでもない事だと悟り、誓いました。もし万が一にもこれから良い出会いがあり、結婚できたとしても子供は作らない。正直に申して自分の人生は良くない事だらけでした。学生時代は特に良い思い出などなく、悲惨な日々ばかりが脳裏を過ります。周りのせいではなく自分が駄目であったから起った事。そんな生き地獄を子孫に送らせるわけにはいきません。もしかしたらもっと利口に生まれてくるかもしれない。でもそうではない「生まれてから」では、判明してからでは遅いのです。

 

ですがこの考えは「男性」だから思う事ができた事。結婚して我が子を望まない女性などいるはずがありません。どこかに子を望まない異性がいて、出会えるかもしれない。もしくは付き合いが長くなって仮に婚約をして説得したら応じてくれるかもしれない。まぁこれも甘い考えではありました。結局この話をするまでもなく消滅しましたが。

 

と言う事があり今後は婚活・結婚という定義を捨てます。出会いはあるかもしれません。しかし一線を踏むことは決してしない。「性格上無理だった」これでいこうと思います。人は1人で生きていくことはできませんが、1人で死ぬことはできると思っています。なるべく「その時」に迷惑が掛からないようにしていくことが前提になりますが。

 

必要以上に仲良くしない

 

人間と関わることが苦手です。それでも友好的な関係を築こうと努力をしたつもりではあったが、幾度となく裏切られ見捨てられた過去があり、苦手になっていきました。1人でいるのは楽なのですが、それをとても寂しく思う時もあり、だから諦めることなく関わって仲良くなっていきたいと挑んできましたが、やはりこれも性格上、無理だと理解できました。生きていく以上、必須となるものなのですが、もう必要以上に関わるのはやめようと決めました。

 

実際自分が「友達」だと思っている人間も1人しかおらず、その友達も結婚し家庭ができ、最近は疎遠になっています。求められれば応えますが、それ以上は関わるのをやめました。今後も出会いはあるにしろ、必要以上に仲良くすることはしません。相手の為でもあり、自分の「維持」のためでもあるのです。

 

 

自爆もいいところでした

 

以上ですが、なんて重っ苦しい記事になってしまったのでしょうか。自己満足で申し訳ない。まぁこうして公に抱えていたものを打ち明ける事で一層、覚悟が強まった気になります。軽く「こんな変な人間もいるものだ」と思っていただければそれで満足です(笑)これからバンバンと書いていく記事の1つや2つくらい、こういった恥ずかしい記事が入っているのも雑記ブログの醍醐味かと。

 

今回も読んで頂きありがとうございました。

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