底上がり

中年になってから少し頑張ってみるブログ

何もなければ毎日の朝日を感じる事を意味としよう

こんばんわ。自ら選び進んだ道である無職生活が始まって1週間が経ちました中年です。あっという間に過ぎてしまったというか、とても短い1週間に感じました。日々を大事にしているつもりで過ごしていたのですが、実感が湧きません。

 

適度な運動は置いといて、1週間労働から離れてみて何か変わったと問われれば、実はほぼ変わっていない状態です。働く意欲どころか求人サイトを覗こうとする意欲も湧かず、怠けているのは理解できているのですが、中々前に進めません。

 

 

劣等感に落ち潰される

 

 

記事に書いたかどうかは分かりませんが、自分には弟がいます。そしてここからは書いていないと思いますが、両親共に大家族であり兄弟が多く従兄妹が沢山いるのです。しかも知っている従兄妹のほとんどが大学卒のエリートでそれぞれに家庭を持ち、中には相当な資産を持っている方もいます。

 

両親も何十年と同じ職場で働き定年を迎え、弟も高卒でありながら新卒で入った会社に今もずっと勤め続けています。それに比べて自分は何て劣等なのでしょうか。就職しても幾年も持たず退職し、転職を続け更には今無職で引きこもりなのですから。

 

 

思わない日は一度もない

 

 

何時頃からだったでしょうか思えていないのですが、自分の存在の醜さを酷く呪い、この世から消えてしまいたい衝動が始まりました。眠りについた夜に、そのまま逝けたらいいのにとか、常に事故や天災に巻き込まれて逝かないかなとか。しかし自ら死に急ぐことは決してしない臆病者なのです。ただ思うだけ、ただ叫ぶだけ。

 

その衝動は今も続いています。仕事中だったら頭を叩き頬を引っぱたき強制的に考えを変えようと努力しました。どうしても駄目だった時は市販ではあるが薬に頼ったこともありました。それでも駄目な日もありましたが…。

 

 

きっといつかは

 

 

今の自分を教え、助けを求めたことはまだありません。仮に話したとしても自分の弱さを指摘され蹴られて終わりだと思います。これは性分なのか意地なのかどちらかでしょうけれど、自分が辛い思いをするよりも他人に迷惑をかけてしまうほうがよっぽど嫌なのです。でもいつかボロが出るはずですし、積み重ねている劣等感に潰れてしまうでしょう。

 

両親が亡くなったら弟と何もかもとの縁を切り、そして自分が働けなくなる体になるまで生き、そうでなくなったらこの世での生活を終わりにしようと考えています。それは自分が今を生きる原動力でもあります。「できるだけ迷惑をかけずにこの世を去る」事が目標です。そのためにまだ生きなければならない。その「生きるために」自分にとって楽しいと思えることを探しているのです。

 

 

人間は誰しもきっといつかは亡くなります

 

 

どうしようもない窮地に陥ってしまい、消えたいという衝動にかられたときは思う限りの「未練」を探してみれば衝動が緩和するかもしれません。到底無理な事ではなく、手を伸ばせば届きそうな距離にあるモノ。強制的に考えておく「未練」でもいいと思います。何の情報にもなりませんが、無未練である自分はそうやって「自己」を保ってきました。

 

時が経つにすれ今よりもずっと「生きるのが難しい時代」がやってくると思っています。そうなる前に備えておくという話ではなく、そのような時代がきっとくるのだと念頭に入れておいて覚悟しておけば、何も知らないよりかマシかなという程度の話です。生物にとって「日々ただ生きているだけ」それだけでも一生懸命であり必死な行為です。いつかくる終わりを迎える時まで、生きましょう。自分も生きます。

 

今回も読んで頂きありがとうございました。

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