ネガティブ人間が考える単純幸福論
おはようございます。くしゃみ鼻水頭痛の中年です。マズいですね。結構寝たはずなのに悪化していく一方です。本日は面接日なので何とかしなくては。働かれている皆様は体調万全に、こんな引きこもりでも風邪を引くのでお気を付けください。
体調がよくないと消極的思考になり、嫌な目にあった記憶が蘇ります。いくら頭を振っても拭いきれずそうなると、「自分の今後の生き方」や「良い方向へ向かう方法」ばかり考えてしまい、他に手が付きません。個人に差はあるけれど自分が思う「幸せ」とは何なのでしょうか。
目標=幸せではない
過去の記事にもいくつか書いたと思う「目標」確かにそれらを目指して頑張っているつもりなのですが、果たしてそれを達成した時に自分は幸福感を得られるのだろうか?達成感はあります、目標を決めて努力して課した挑戦に勝利したのですから。
しかし目標というのは実は欲深いもので、達成してしまうと更に先に逃げてしまうのです。「そこで終わり」ではなく、ドンドン先へ進むため次第に追い付けなくなってしまいます。結果「妥協」となり、後味悪い経験を何度かしました。
好きなこと=幸せへの近道か
極端ですが嫌な事をするよりも断然、好きなことをやったほうが楽しいですし意欲も湧いてきます。それによって悩むときはあるけれど、それが好きなら乗り越えられると思う・信じることができるはずです。継続することも簡単にできそうです。
「好きなことできるんだから幸せじゃないか」そうかもしれません。苦しい思いばかりしている人にとっては幸せだと感じるのかもしれません。
でも突然その「好き」が変わってしまったら。時が経ち思考も感情も変わった行く中で果たしてそれでもその「好き」は変わらないのでしょうか。「変わらずにいる努力」をし続けていくことは容易ではないと考えてしまうのです。
承認欲求は一時的な強壮剤
信頼できる上司や友達、愛する人などがいてその人の為に何かを努力してそれを認めてもらう事。褒めてもらえたりお礼を言われることで欲求が満たされて気分が高揚する時もあります。とても良い気分になりますがそれは一時的なものに過ぎません。
他人の願いを叶え続けることはとても困難です。それが好きだからと言ってそう容易くできるものではなく、時に失敗したり仮に裏切られでもしたら一気に崩れてしまうでしょう。ある意味一番幸せに近いのですが、その階段はあまりにも脆く薄いものです。
幸福と欲は表裏一体
最期になりますが、この世に生きている人の数ほど「幸せ」の種類があると思います。いくら調べても努力しても見つからずに終わってしまう人が沢山いるはずです。心が満たされる感情は「幸せ」とも言いますし「欲」とも言い換える事ができます。
幸せは些細な事でも自覚することができますが、欲は大きく多くなければ感じる事ができません。とても似ている感情ですがきっと「同じ」ではないはずです。得るのならば幸せを。欲を悪意とは思いませんが、それを弱い自分が満たす事など不可能です。
いつか自分が思う「これこそが幸せだ」と思うものに出会い・感じ・考えることができたらこのネガティブ思考も薄れていってくれるかなと思っています。とりあえず本日の面接を頑張ってきます。結果は後ほど書こうと思います。
今回も読んで頂きありがとうございました。
それではまた。