1人反省会の最後は必ずポジティブに振舞うべし
こんばんわ。いつの間にやら土曜日も終わってしまい、実感が湧かない中年です。現状は何と言いますか、魂のない抜け殻が部屋内に居座ってゴロゴロしてて日々を過ごしているというか、全くそんな余裕はないのです。世間は皆外へ出て暑い中必死に働いているというのに。とにかく今は荒んでいます。何とかしなくてはなりません。
何故毎回こうなってしまうのか
理由は分かっています。といっても転職を繰り返して数年前にやっと解ったのです。しかし解ったからといって対策は何もなく、
我慢をして出勤→我慢をし続ける日々→限界を迎えて退職
というのをループしてきた次第です。その理由は大まかに言えば「メンタル面」なのですが、具体的に言うと個人の性格、いえ、病気の一種なのかもしれません。このために、数々の仕事を長続きせずに辞めていったと言っても過言ではありません。
人と関わることが大の苦手
当たり前に自分も人間ですが話している目の前の人も人間です。大半の人はこれを聞いて良く思う事は無いのではないでしょうか。裏を返せば「自分に関わらないでくれ」と言っているようなものです。社会組織は決して一人でできている物ではありませんし、その下で働く労働者だって決して一人で動くものではありません。
昔から人への接し方は下手でした。話すのはもちろん、聞くことも下手で人が「何を話しているのか」が分からない時があります。上手く説明できませんが、人の声を「音」として聞くことはできます。むしろそれは敏感なのですが、その「音」を「日本語」として聞き取る事ができない時があり、いくら集中して聞いていても言葉として理解できず、何度も聞き直してしまう始末。
ちょっとした「訛り」やイントネーションの違いでも聞き取れず、同じ日本人でありながら相手は英語でも話しているのではないかと思えてしまうくらい、聴覚に異常があります。映画でも、吹き替え版や邦画を観る時は「日本語字幕」を付ける設定をしていないと、聞き取れないほどです。ということが昔からあり、人とはうまく関われないでいました。
もう一つは「消えない記憶」です。子供時代から「嫌な目」にあったときの嫌な記憶は決して色あせることなく覚えているという事。今でも不意に思い出して当時の嫌だった思いが込み上げてきます。たまに夢で見る時もあり、辛い思いをします。もっと辛いのは、これらの「嫌な事」は蓄積されていくという事です。
過去のトラウマを嫌と言うほど抱えているにも関わらず、現代でも「嫌な事」があればそれはまた「忘れられない記憶」として残ります。そしてそれはまた何でもない日に急に頭を過り、その当時に感じた嫌な思いを思い起こさせるのです。フラッシュバックというのでしょうか。自分はこれを「反芻」として、忌み嫌っています。
(反芻とは動物が行う、一度食べ飲み込んだものを再び口内に戻し食べるという行為です)
今までは特に考える事がなかった理由だったのですが、最近はメンタル面も含め強くこれを意識するようになり、自身の孤独化は加速していっています。過去に記事にしました「婚活」についても結局消滅しました。
切実だけれどこのままではいけない
これらの事が積み重なり、今ではちょっとしたことでも耐えられずに退職してしまうようになりました。ただの個性だとか、性格の一部だとか軽い考えで済ましてきたのですが、だからといってポンポンと転職をし続けていけば後に、どこも雇ってもらえなくなるのも事実。こんな悩みを抱えている人は決して自分だけではない。むしろもっと酷い症状に蝕まれていながらも頑張って働いて、この世を生きている人だっています。
今年で41歳になる中年としてはあまりにも遅すぎる「現状打破のための対策」を今から真剣に考えていかなければ。すっかり絶望してしまっているこの世の中ですが、まだまだそこで生きていかなければなりません。生活をし、そのために働き、お金を稼がなくてはなりません。「助けて」と叫んでもきっと助けはこない。そう思い込むくらいの強いメンタルを作っていかなければならないのです。
ちょっと語り過ぎました。
とにかく今はこの自由な時間を「強化期間」として受け止め、努力していこうかと考えています。
今回も読んで頂き、ありがとうございました。